お蔵出し〜メルボルン生活〜
 このウエブサイトは、僕が2000年に突然仕事を辞め、車を売り、貯金と退職金をもって、海外でも活躍できるようなイラストレーターになるという無茶な野望のために、英語もろくに話せないのにメルボルンにひとりで渡ったところから始まりました。

 その当時のホームページには、オーストラリアの紹介や苦悩の日々を綴った日記、自分の好きなバンドのライブレポートのページなどもありました。

 おそらくほとんど自分の古い友人かメルボルンの新聞で連載していた「流学生ケン」の読者くらいしか見ていなかったと思うので、最近U−sukeを知った人のためにも今回「お蔵出し」という形で、メルボルン時代の写真をいくつかご紹介したいと思います。
言わずと知れたグレートオーシャンロードの「12人の使徒」。ミスチルのTomorrow never knowsのビデオクリップなどでも使われている有名な観光地ですが、メルボルンからはかなり遠いので海外からの観光客でも行かない人が多い。僕は3回行きました。圧倒的な自然を前にすると、言葉が見つかりません。
同じくグレートオーシャンロードの「ロックアンドゴージュ」というところ。「紅の豚」の背景に使われてるところですが、本当に美しい入江。1月には日照時間が長いのを利用してシェイクスピアの劇がこの場所を舞台にして行われ、とても幻想的でした。
ちなみに、この写真は友人の結婚式をここであげたときのもので、僕は友人のキャサリンのバイオリンとともにギターで、ビートルズの「IN MY LIFE」などを弾いて入場などのときに華を添えてました。今まで見た中で最もロマンチックで、最も安上がりな結婚式に参加できて幸せでした。
結婚式の披露宴はキャンプ場のロッジ。みんなで酔っ払ってジャムセッション大会。この後、新郎新婦も交えて朝まで踊ってました。
野生のコアラ。オージーの友人は見つけるのが非常にうまい。僕はいつも第一発見者にはなれませんでした。
これは、タスマニアを除くオーストラリア最南端・ウイルソンプロモントリーナショナルパークの山の頂上からの写真。キャンプで2泊したんだけど、ムチャクチャいいところです。国際ホテルがなかったり交通の便が悪いため、外国人(日本人含む)があまりいない。でも、すべての野生動物と遭遇できたすごい場所。野生のエミュー(ダチョウみたいなの)見たときは、ちょっとあせった。
そのキャンプのテントのそばに出てきたウォンバット。もくもくと草を食う。かわいいけど、かなり匂います。
同じくウイルソンプロモントリーのでかい岩の上。1万円生活の浜口みたいになっとりますな。
これが、メルボルンのシンボル・フリンダースステーション。ヨーロッパ調の街並みがボルンの特徴。待ち合わせによく使いました。
CITYの中心では、大道芸も。バークストリート。
チャイナタウン。安くてうまいので、頻繁に飲茶とか北京ダックとか食べてました。
市場。僕が住んでたプレストンという田舎町には大きな市場があり、よく牛タン丸ごとを2ドルで買ってきてさばいてました。牛タンてさばくと汗だくになるくらい大変。舌の皮を削るのが重労働なので半解凍してやるといい。ってもう人生でさばくこともないかな。
よくオージーの友人とオーストラリアンフットボールを観にいきました。ルールがヘンテコですが、覚えるとおもしろい。僕の応援するチームは、カールトンブルーズです。
アートを勉強していた学校の中庭です。よくクラスメイトと、お昼を食べながら日なたぼっこしてました。
友達にもらったベッド。無意味にクイーンサイズ。(オーストラリアってシングルあまり見ない)余計に孤独感をあおります。
800ドルで購入して2000ドルくらい修理に使ったフォードレーザー。2年間お世話になりました。ど田舎の高速で煙をあげて動かなくなったときは、死んだと思いました。左のドアミラーがないのも何か悲しいですね。
僕が日本に帰る直前まで住んでいたフラット。1人で2DKもあって週75ドルという最高の環境だった。この部屋でモーリーの第1話を描いたり、個展の絵を描いたりしていました。
これがキッチン。よくチャーシュー作ったり天ぷら揚げたりしてました。
ときどき僕の部屋に遊びにきた大家さんの犬・「ニンディ」。ずっとリンディって名前だと思って呼んでたら、日本に帰る間際に首輪を見たら「NINDY」の文字が…(笑)。2年も間違えて呼んでたのに愛想よくしてくれてありがとうよ。ごめんよ。
住んでたところの周辺。散歩してたらよく野うさぎに会いました。ちなみにモーリー第1話はここの川にかかっていた釣り橋の上で思いつきました。
どこにでもいるポッサム。リスよりでかく、猫より小さい感じ。CITYの公園のどこにいっても、夜中にパンをあげれば近づいてきます。かわいい。
どこの公園にも設置してある簡易バーベキュー。無料です。ボタンを押すだけで鉄板が熱くなりはじめます。よく友人とバーべキューしてました。
週末は、パブにバンドを見に行きました。演奏する人はほとんど有名なプロのバンドです。これは「DEAD STAR」。とてもいいバンドで、メンバーも楽屋で気さくに話してくれましたが、解散してしまいました。残念。
これは「Leonardo's bride」。ボーカルの人はいまソロで活躍しています。
これは2001年のビッグデイアウトの「PLACEBO」。UKのグラムロックバンド。ベースの人は坊主頭なのに赤のボディコンワンピース着ています。
刺身が食べたくなると、釣りにもいきました。パスポートが必要で、釣っていいサイズや数なども決められています。これは、シマアジと小あじ、カ二ですな。手巻き寿司にして食べました。きれいな海で釣りをしているとすごい幸せになります。堤防で釣りしているときに目の前を気持ちよさそうに泳ぐイルカを見たこともあります。
これはマゴチ。天ぷら最高です。
メルボルンで最初に暮らしていた友人・サイモンの家。絵を描いてると、いつもサイモンやティム(猫)が邪魔しにきました。
こういう人と半年間、ドアのない部屋で暮らすところを想像してみてください。当時はかなりストレスで疲弊しました。たまに会うぶんには面白いし、日本にも何度も来ています。
生活が苦しく、日本食料品店や日本料理屋でバイトしたり、似顔絵描きや作品を売ったりして学費や生活費を払っていたときに、ダメもとで左のような「日本語家庭教師」のチラシを某大学の掲示板にはったのです。そしたらちゃんと生徒がきて、調子にのって教えてました。ちゃんと絵を描いて教材を自分で準備したり、日本語の本を買って勉強したりしました。何の経験もないハッタリ家庭教師だったけど、使える日本語を教えたので生徒には結構評判でした。
1000人くらい集まる「VIC BALL」(ダンスパーティーみたいなの)に呼ばれていったときの写真。東洋人は自分だけだったのでかなり目立って恥ずかしかった。しかもまだ英語があまり話せない頃だったので、飲むしかなくへべれけになったのを記憶している。
車のハンドルには常にロックをしていた。一説にはあまり意味がないらしいが。
メルボルン名物・トラムレストラン。街並みを見ながらディナーを食べられます。正装じゃないと乗れません。とてもロマンティックな感じです。
イタリアン街のパスタやピザは安くてうまくて最高でした。よく食べに行ってた。
個展(個展のページ参照)で販売していたオリジナル商品の中のひとつ。「オヤジロボタンクトップ」。このキャラが「ちょんまげ課長」になっていったのかな。
友達とマウンテンバイクの1日。80キロくらい走るので、次の日とんでもない筋肉痛に。
メルボルン生活の最高の日のひとつ。EXHIBITIONで最優秀アーティスト賞をとったとき。外国人だし、他に上手い人ばっかりだったので絶対無理だと思っていたので、本当にうれしかった。表彰式の後、ナイトクラブに連れてかれ、たくさんの人から祝福をしてもらって酒を飲まされて嬉しかったのですが、酔っ払って賞品のうちのひとつの立派なデザイン本をなくしてしまいました…がーん。(賞金はなくしませんでしたが)

ちなみにこのとき4作品が出品され、そのうちのひとつが「モーリー」でした。
シースプレイという名のビーチ。メルボルンよりずっと南の方。その名のとおり波しぶきが霧のように美しい場所でした。この海を見てから日本に帰国しました。